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1925年 阪東妻三郎プロダクション作品
上映時間75分
封切=1925(大正14)11月20日
浅草大東京 他
〈スタッフ〉
総指揮・・・・・・・・・・・・マキノ省三
原作、脚本・・・・・・・・・・寿々喜多呂九平
監督・・・・・・・・・・・・・二川文太郎
撮影・・・・・・・・・・・・・石野 誠三
舞台装置・・・・・・・・・・・河村 甚平
現像・・・・・・・・・・・・・田村太一郎
〈配役〉
久利富平三郎・・・・・・・・・阪東妻三郎
漢学者 松澄永山・・・・・・・関 操
永山の娘 奈美江・・・・・・・環 歌子
奈美江の夫 江崎信之丞・・・・春路 謙作
浪岡真八郎・・・・・・・・・・山村桃太郎
二十日鼠の幸吉・・・・・・・・中村琴之助
赤城治郎三・・・・・・・・・・中村 吉松
吉野川のお千代・・・・・・・・森 静子
〈解説〉
日本映画史上最高のチャンバラ映画≠ニも評される作品。
大正14年7月に日本で初めてスターの独立プロを作った阪東妻三郎の独立二作目であり、23歳の阪妻をはじめ、スタッフ、キャストのほとんどが10代、20代という若さ溢れる作品でもある。
世の矛盾を突いた反体制映画であることも忘れてはならない要素であろう。
最初の時代劇スター尾上松之助の立ち廻りは、歌舞伎の技法をそのまま取り入れた動きの少ないもので、画面中央で大見得をきるだけで相手方が倒れるというチャンバラであった。
これに対してリアリティを重視する阪東妻三郎は、激しく動き回る立ち廻りを映画に取り入れ、必然的に移動撮影も頻繁に行われ、剣戟映画の様相を一変させたのだった。
この作品で実際に撮影された剣戟シーンは実に五千フィートを超え、俯瞰シーンを撮る時はトラックの荷台に足場を組んでその上から撮影したという。
(松田豊)
〈略筋〉
漢学者・松澄永山の誕生祝いの酒宴で、家老の伜・浪岡真八郎は傍若無人の振る舞いをし、塾生の久利富平三郎と取っ組み合いの喧嘩となった。さらに数日後、侍達が永山や永山の娘・奈美江のいかがわしい噂をしているのを聞き、カッとなった平三郎は侍達と斬り合いとなってしまう。平三郎は、事情を知らぬ永山に破門とされ、奈美江には絶交を言い渡され、到々この土地を追い払われる事になってしまった。
惨めな流浪の旅を続ける平三郎だが、ふと前を通り掛かった料理屋の娘・お千代に心を惹かれ、彼の暗い心にも一筋の光明が射した様に思われるのだった。
何度となく役人や世間に曲解され投獄されてしまった平三郎は、お千代恋しさのあまり破獄する。役人に追われた平三郎を救ったのは、人々から義侠に富んだ親分と敬愛される赤城治郎三であった。
だが、治郎三は義侠の仮面を被って奸悪を謀らむ大悪人であったのだ。本当は善人であるのに人々からはならずもの≠ニ恐れられている平三郎と、大悪人でありながら人々からは敬愛される治郎三が同じ屋根の下で
過ごす事となった或る日の夜、治郎三は病に疲れた夫婦者を家に連れて帰るのだが・・・
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